2016年8月24日の真夜中、イタリア中部のペルージャ県ノルチャ付近を震源としたイタリア中部地震は、市民の10人に一人が亡くなる大惨事となった。
ペルージャという地名は、中田英寿がはじめて海外移籍を果たしたサッカーチーム「ペルージャカルチョ(旧ACペルージャ)」でその名を知っている人もいることだろう。
地震発生以来毎年、そのペルージャを訪問して復興の手助けをしてきた男性がいる。
名前を健(ケン)としておく。
健は、私の地元で有名なピザ職人だ。
開業とともに、その本場のナポリピザの味が話題となり、ミシュランのビブグルマンの栄誉をもらったこともある。
お店では、薄い生地が心地よい食感の「マルゲリータ」、「マリナーラ」、「ポモドリーニ」が人気だ。
2008年にピザ職人として修行を始めた健は、2010年妻子を残して単身イタリアに渡り、ペルージャの有名ピザ店Pizzeria Mediterraneaに弟子入りをする。
5年間イタリアで修行し帰国、地元に開店したのは地震の前年2015年だった。
日本に帰国すると決まった時、同僚たちは「ナポリの薪窯を日本に送ってやるよ」と言っていた。
冗談だろう、と思って取り合っていなかったが、1ヶ月後本当に薪窯が東京税関に届いていると連絡を受けて、びっくりしたと言う。
そんなペルージャのピザ職人には、感謝しかなかった。
なにか恩返しをしなければと思っていた矢先だった。
地震の情報は、テレビのニュースで知った。
とっさにPizzeria Mediterraneaはだいじょうぶだろうか?
オーナーや同僚は無事なのか?
街の様子は?
と、さまざまな心配が頭をよぎった。
ペルージャは、震源地のノルチャからは車で1時間ほどしか離れていないこともあり、その日はだれとも連絡が取れず、被害の状況もわからなかった。
数日経って、日本赤十字社が救援金を集め始めた。もちろん寄付をした。
しかし寄付をするとともに「おれ何やってんだ?」という気持ちになったという。
「お金送っている場合じゃないだろ」
すぐにでもペルージャに行きたい気持ちだったが、家族と相談し、様子を見て準備万端にしてから向かうことにした。
はやる気持ちを抑える毎日だったが、2ヶ月後追い打ちをかけるようにM6.6の地震に襲われる。10月30日のことだった。
それまでに、Pizzeria Mediterraneaの同僚数人とは連絡が取れ、現地の様子もわかってきていたが、2度めの地震で振り出しに戻ってしまった。
いても立ってもいられない。
健は家族を説得して、できるかぎり早くペルージャに向かうことにした。
もう11月。めざす訪問時期は、クリスマスだ。
二度目の地震は、8月の地震より大きかった。お店の同僚のうち、数人とはふたたび連絡が取れなくなっていた。
12月23日、健は成田空港からアリタリア航空の便でローマに向かった。
健は、Pizzeria Mediterraneaに修行に来た日のことを思い出していた。
まだイタリア語も片言のままローマ空港に降り立ったあの日。
イタリアの雰囲気に負けないようにと、妻からもらったお守りを握りしめていた。
あれから6年。
まさかこんな事が起きるとは。
はじめてイタリアに来たときも、ローマ空港からペルージャまではバス移動だった。
街はずれにあるローマフィウミチーノ空港から、市内の中心部にあるチブルチナバス乗り場まで、空港バスに乗って1時間。
バス乗り場からペルージャまで2時間半かかる。
降り立ったローマの街は、あまりダメージを受けた様子ではなかった。
しかし、明らかに震災の影響とみられる石造りの壁の崩壊などが残っていた。
ローマがこれでは、ペルージャはどうなっているのだろう。
心配な気持ちとともにバスに揺られる。
車窓の風景からも、崩壊した壁などが見える。
ペルージャのバス停がある、パルティニージャ広場に着いたのは、お昼を過ぎた頃だった。
ペルージャの空気や街並みは、ほんとうに久しぶりだったが、そんな悠長に鑑賞に浸っている時間はなかった。
バス停からPizzeria Mediterraneaまでは、歩いて10分あまり。
ここは何年も歩きなれた道だ。
パルティニージャ広場の向かいにあるジェズ教会の壁が、崩れていた。
ちょっと落ち込んだ時に、ひとりで礼拝堂の椅子に座った思い出の教会。
路地に入る目印だった、靴屋さん「ティップタップ」は閉店していた。
オーナーのロレンツォさん、ピザをよく食べに来てくれていたな。
どうしているのだろう。
お店のあるセッテンブレ通りまでの長い路地も、あちこちが崩れ、瓦礫をよけて歩くしかなかった。
お店まであともう少し。
セッテンブレの大通りを右に曲がれば、お店がある。
あるはずだ。
足早に大通りに出ると、そこにはお店の人たちが健を出迎えていてくれたではないか。
手を振る同僚たち。
同じ下宿部屋だったバシリオがいる。
ソースの作り方を教えてくれたロレンソ。
あんまり仲良くなかったはずのオレガリオ。
もちろん店長も。
みんないる。誰一人も欠けていないことがうれしかった。
健は走って、みんなに抱きついた。
「無事だったんだね。よかった」
「おまえに会えてうれしいよ」
「さぁ店に入ろう」
みんなは健を店内にいざなった。
「店は大丈夫だったの?」
「ああ、幸い無傷だったよ」店長は笑顔で答えた。
仲間がみんないる。
生きている。
また会えたことがなによりも嬉しかった。
「それよりお前の店はどうなんだ?順調なのか?」
こんな大変なときなのに、帰国した健の心配までしてくれた。
ワインを飲み交わしながら談笑していると、いつのまにか夜になっていた。
最後に健は、持ってきたスーツケースいっぱいの救援物資をみんなに手渡した。
「たいしたクリスマスプレゼントだ!」
みんな笑顔で喜んでくれた。
みんな仮設住宅に住んでいたりして、こんな笑顔の毎日を送っているはずはないのだ。
健に心配をかけないように、賑やかに楽しく振る舞ってくれたのだろう。
健はこの年から毎年、ペルージャを訪問し、支援を続けてきている。
復興計画が思うように進んでおらず、歯がゆい面もあるという。
2020年のコロナ禍では、イタリアは多くの死者が出て、また心配事も増えた。
それでも昨年のクリスマスは、3年ぶりに訪問することができた。
健にとって原点とも言えるPizzeria Mediterraneaとその仲間たち。
被災した仲間たちを支えに行っていると思っていた健だったが、じつは初心を思い返している健が支えられているのかもしれなかった。
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